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2014.8.27 丹波市土砂災害ボランティア

丹波方面泥かきボランティア参加して参りました。 仕事、家族フォローもお休みを頂き、本来私一人参加予定でしたが なんと旦那も当日オフになった!!とのことで急遽一緒に向かう事に。 慣れない泥かき作業に夫婦揃ってDVですか?のごとく 全身筋肉痛&みごとな痣だらけとなってしまいましたが(苦笑)とても意味のある一日となりました。 参加出来て本当に良かったです。 体力に自信がありタイミング等合う方は是非参加してみて下さいね。 仕分け等の作業もあるので体力ない方はそちらの担当も可能です☆ 貴重な体験ですので記事にもUPさせて頂きますね。 長文になりますが興味持って下さった方は是非お読み下さいませ☆ 下記にて現地の状況が見れます https://www.facebook.com/tamba.shakyo 記事、見つけましたがこのような作業でした http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201408/0007251517.shtml 自宅から集合場所の黒井駅まで電車で3時間はかかるため、5時半発の電車に乗って現地に。 福知山線に乗っての車中では寝不足もあり夫婦揃って爆睡してしまいました。 しかし車内に流れたアナウンスに運命を感じる事に。 水害のため福知山までの電車はずっと運休しており、ボランティア参加の当日から運転再開になったそう。 旦那と「これは導かれたんやな?」とご縁を実感。 丹波は旦那のお母さんのご実家のある場所で、旦那が幼い頃夏休みは家族で泊まったり 兄弟達と遊んだりした大事な想い出の場所だったそう。 この更なるご縁に旦那は思いを馳せてるようでした。 車内から見える景色達は目的地に近くなるにつれ田んぼや畑が並ぶ自然にあふれた光景に。 電車は風等の影響で若干遅れながらも黒井駅に到着。 駅の直ぐそばにあるハートフル春日という施設にてボランティアの受付をさせて頂きました。 私達は個人で参加しましたが、学生さんや企業さん等の団体参加も多かったです。 いったんこのセンターに集まり、受付後まとまった人数で支援先近くのセンターに移動。 そこで10人程度のグループ分けをして支援先のご自宅に向かうという流れでした。 前回の京都の泥かきは1軒のご自宅ではなく、溝等にたまった汚泥のかきだし作業でしたが 今回は1軒をふたつのグループでまるっと任されるという大役。 まずは10人のグループのリーダーを選出しなくては…だったのですが、 ボランティア経験者という70歳のおじい様が「僕がやってもいいけれど、 こういうのは若い人がやる方がいい!!僕がサポートするから誰か手を挙げなさい」と。 突然の出来事に一同シーン…。「ん?これ、私は手を挙げた方がいい流れ?」と様子を伺うと 旦那が手を挙げてくれました。 ご実家への想いを胸に頑張らせて下さい!という気持だったようです。 リーダーの役割はみんなのまとめ役に加えて現地ご家族へのやりとりやボラセンへの報告等。 講師歴が長くご両親も教師という事もあり、しっかりとお役目をやり遂げられておられました。 現場となるご自宅にはバスで向かいましたが現場に近づくにつれて全壊しているご自宅や 瓦礫が積み上げられている場所があったり、私達が向かった地区でもお一人の方が命を落とされたそうで、 その光景は私が初めて東松島へ向かった時のものとどこか似ていて胸が苦しくなりました。 私達が活動させて頂いたのはなんと「上田さん」という偶然にも私達夫婦と同じ名字のご一家。 ご自宅は床上浸水。家具はも撤去され畳も剥がされていて1階は枠組みのみの状態。 なんとか2階で寝起きは出来ているそうですが、台所も使えない上雨が降る度恐怖に怯えて 食事も喉を通らない…とおっしゃっておられました。 むき出しの台所や床は抜けているのに壁にはご家族の写真や絵等が飾られたままだったのが なんとも言えない気持になりました。 私達に与えられたのは、この枠組みの下にたまった汚泥をバケツ等に入れて家の外に運び出すというお役目。 効率よく作業を進めるためまずは役割を決める事に。 シャベル等で泥をかき出す担当、バケツたまった汚泥等を運び出す担当、 集まったバケツ内の汚泥を家の外に捨てに行き、空になったバケツを泥すくい担当に戻す担当に別れて作業開始。 作業時は上下長袖のジャージにマスク、長靴、日よけの帽子、軍手というスタイル。 (後に身につけた全てのものは気持いいほどの泥まみれとなりました) 私は最初泥をすくい出しバケツに入れる作業を担当しましたが、これが思った以上の重労働。 水を含んだ汚泥はシャベルに張り付いて重い上バケツに移しづらく、 木枠で区切られた空間での作業なので思った様に身体を動かせず何度も木枠に腕や身体がぶつかるという状況。 また、同じ体制をずっと続けなくてはならないため腰が悲鳴をあげますし、 作業を続けて行き泥が少なくなって来ると一回ですくえる泥の量が少なくなり何度もこそいだり 細かい作業が多くなり、腕も握力はなくなりシャベルを持つ手も腱鞘炎状態に。 この作業は長時間は続ける事が厳しいので、声をかけあって持ち場を交代しあったりでの作業となりました。 では他の持ち場は楽かというと変わらず別のキツさがあるわけで…。 すくったバケツの泥を運び出す作業は木枠の上に敷いた板の上の移動がなかなかに困難。 なかなかの重量のバケツ達をひたすら運び出し空のバケツを戻す。 学生時代器械体操で平均台は慣れっこだった私は張り切ってガツガツと運び出しましたが、 後半になると足腰が立たない上腕の力もなくなって来て、何度もこの板の上から落下し、 その時に足や腕を強打。立派な痣が出来上がるという訳です。 そして、端に纏められたバケツの泥達を外に捨てる担当。 比較的この作業は楽でしたので、参加者でも年齢の高めの方や疲労がたまって作業が困難な方はこの作業を。 …と言ってもたまった泥を持ち上げて外に捨てる作業も落下等の危険はないにせよ 腕も腰も痛くなる上屋根もない完全な屋外での作業のため大変。 元気が取り柄の私もこの作業のローテーションに何度か立ちくらみを経験する程すべてがハードな作業となりました。 一応1時間に10分くらいの休憩と12時から1時のお昼休憩が与えられてはいましたが、 お昼頃に雨が降り始めてしまったため作業中断の可能性も出て来たので休憩もそこそこに 「どーーしても作業がしたくてたまらない人」限定で先に作業を開始したりもしました。 3時半には作業を終えて…。とのことで「どこまでやる」というくくりではなく、 あくまで時間が来たら目標迄到達出来ていなくとも終了…との流れ。 でも、せっかくなら床下のの泥がなくなり綺麗になるところまで仕上げたかったので、 後半戦は特にみんなで声を掛け合いながら頑張りました。 そこら中から「うんっ。よっしゃ!」という気合いの声やバケツの受け渡しにも 「お願いします!ありがとうございます!」と声かけ。 声を掛け合う事でひとつひとつの作業を丁寧に出来た気がします。 そんなこんなで、なんとか予定時刻には全ての泥をかき出すミッションはクリア!! ご家族の上田さんにも「まさかこんなに全部なくなるとは思わなかった。 助かりました」とのお声も頂き涙が出る程嬉しかったです。 この後は汚れた道具を井戸水やたまった雨水のようなところで洗ったり、 また、泥が詰まって開かずの扉になっていたシャッターを空けるために泥をかき出したりと お迎えのバスの到着ギリギリまでみんなで頑張りました。 別日に来られていたという別班のリーダーは「こんなに作業が進んだのは初めてだ。 今日はみんなチームワークが素晴らしい」と、リーダーだった旦那に伝えてくれたそうで、これも凄く嬉しかったです。 とにかく感動したのは人の力って凄いってこと。 そして、その人のパワーは一人より二人、二人より三人。数が増えればその力は何倍にもふくれあがります。 始める前は途方もなく思えた作業もみんなで一生懸命目標に向かいやり遂げる事でクリア出来た1軒まるごとの泥撤去。 愛知人活動でもいつも感じてる事ですが、やはりひとりで出来る事は限られているけれど 例え小さくてもみんなの力を集めれば奇跡だって起こせるという事。 それをまた体感出来て本当に嬉しかったです。 しかし、私にとっては一日の貴重な体験ですが被災された方達にしてみれば 床下の泥は撤去されても台所の再建から何からやらなければならないことは山積みな上、 雨の恐怖とも戦いながら食事も作れずの日常を続けて行かざるを得ないという現実。 しかも毎日重機が家のそば迄入って来て落ち着く暇もないとのこと…。 それを思うと決して終わりではなくこれからもずっと続いて行く災害の重さを痛感しました。 今後も引き続きご一家へのボランティア作業は継続されるとのことで少しは安堵しますが、 上田さん一家に限らず早く被災された方達が笑顔で暮らせるようになれるよう祈るばかりです。 上田さんご一家にご挨拶をして、ボラバスにて施設に戻り、泥だらけの服を着替えなければ… でしたが下の着替えを忘れた私は急遽すぐそばのコメリで980円のもんぺをGetしました。 着替えると黒井駅へ向かうバスはもう出発してしまっていて、だいぶん待っても来ないとの事で ボラセンの役員様に黒井まで送って頂く事に。 役員さんは「ほんとにありがとうございまず。大変助かりました」と何度も何度も感謝の気持を伝えて下さり こちらこそ有り難うです…と恐縮でした。 また、車中で聞かせて頂いたお話によると私達が訪れた丹波のおばな地区は地震や台風にも強く、 こんな災害は初めてとのことで被害に遭われた方はもちろん、被害を免れた方達もショックでいっぱいだそうです。 8月いっぱいでボランティアの募集は終了予定だったそうですが、あまりの 被害に少なくとも来週いっぱいはボランティアを募集されるとのこと。 私の参加した丹波方面のボランティアは当日でも受け付けてもらえるので、また時間が出来たら参加して来ようと思います。 それにしてもほんとに全国各地で相次ぐ災害。私達の暮らす街でもいつ何が起こるかは本当にわかりません。 防災意識を持ちつつも何が起きても冷静に判断して動かないと…ということを旦那とも話し合ったりしました。 黒井からの電車は1時間に1本。私達は1時間待つ事になりましたが帰宅途中で美味しいもん食べよう!!と 話しながら電車を待ち、帰宅しましたが帰りもぐったりでほぼ爆睡してしまっていました。 疲れた時は焼き肉?とのことで家のすぐ近くの焼き肉やさんで食べる事に。 ふたりのオフ日が重なる事は滅多にないので、休日の締めは焼き肉!!と張り切ってあれやこれやと注文したのですが、二人とも作業にて握力が皆無状態で焼き肉を挟むトングが片手で持つ事が出来ずひーこら言いながらの食事となりました(笑) でも、重労働の後のお肉はさいっこうに美味しかったです☆ そして、帰宅途中に私はまたもや奇跡に遭遇。 なんと、無農薬のお野菜を扱うち「びまるしぇ」さの看板に「丹波方面の農家への支援をお願いします」との文字。 運命を感じた私は店主さんに事情を伺うと、取引先の丹波の農家さんたちが大きな被害に遭われたため、 支援金の募集とともに家具や新品の下着、電化製品等を募集しているとのこと。床上や床下浸水で1階にあった家具やら 家電が駄目になってしまっているそう。 農家さんは農業用の機械等も被害を受けてしまい仕事もできなくなったりと深刻。 また、丹波方面は被害が大きい割にあまり報道されておらず注目が集まりにくかったり…。 愛する東松島と状況が似ていて胸が痛いです。 下着はお風呂等も使えない場合は下着などは助かったり、泥のかきだしですぐに服も汚れるので服は多少の古着でもありらしい。タオルやぞうきんも助かるそう。 家具はすぐには使えないが、1階部分を立て直した場合家具等は新調せざるを得ないのであれば助かるかも?と 店主さんが手弁当で動かれているとのこと。 素晴らしいですね。購入していた無農薬のお野菜や果物も美味しかったのでまた利用させて頂きます。 寄付金も足りないそうです。明日、寄付金も持参したいと思います。 また、丹波のお野菜をたちを買う事も大きな助けになるそうです。 下記に店主さんのブログが乗っています。是非ご覧下さい。 http://ameblo.jp/shingo-gakky/entry-11913852356.html 支援金はもちろん新品の下着等も喜ばれるそうなので、もしそういったものが余っている方がいらっししゃればお声かけてくださいね。 https://www.facebook.com/shingo.gakky?hc_location=timeline 川西にある実家を処分することが決まっているので、置いたままの使えそうな家具なりがあれば寄付出来れば…と個人的に思案中。 また実家を片付けに行った際にその辺も調べてみたいと思います。 とにもかくにも奇跡が沢山重なった一日。 身体は正直夫婦ともどもボロッボロですが、その疲れの何倍にも素晴らしいものを頂きました。 そして「東松島」への想いもまた強くなりました。 災害直後の現場に向かい感じた恐ろしさ。 東松島に限らず今も仮設で暮らす人たちがいて、水害の映像がテレビで流れるたびに恐怖が蘇って震えるような毎日を過ごす方達が居る。 支援の手を向けるべき場所や人たちがあまりに多く、自分の小ささに立ちすくみそうになる。 でも、ひとりが出来る力は小さくても、みんなで少しずつ助け合えたら奇跡が起こりうるということも今回学べた。 うまく言えないけれど生かされている現在に感謝して日々繋いで行きたいと思います。 ああ、またもや恐ろしい長文。 最後迄読んで下さった皆様、ありがとうございます。 ☆丹波市のボランティアに参加してもいいぞ!!との方は下記からお問い合わせ下さい。 0795-74-0999 おそらく黒井駅すぐそばのハートフル春日に8時半までに向かえば当日ボランティア参加出来ると思います http://tambawel.jp/publics/index/51/ by 愛知人@関西 上田裕子

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