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第3回東松島交流会報告書

今回はお盆休みの日程が合わなくメンバーが思うように集まらず、 車1台8名での遠征になりました。

1日目はいつもの「矢本運動公園仮設住宅」での五平餅炊出しとマッサージ。 時間がタップリあった為、マッサージの待ち時間には「なごやん」とお茶を飲みながゆっくりとお話したりゲームで遊んだり、活動写真を見ていただいたり。 8月第1週にボランティアに行った山口県萩市の水害の写真には 同じ思いをされた方を心配して、私達の活動に興味を持って頂きました。 とんぼの会の皆さんからはおしゃねごと寄付金を預かり、

「3年目でやっとそんな余裕もでてきたのよ」と暖かいお気持ちを頂いてきました。 いつもお土産を買いに行っている「のり工房矢本」の方や漁師の方からも同じあたたかい気持ちと共に寄付金を預かり、

お地蔵さんの絵描き「熊谷さん」からは元気や勇気の出る100枚ほどの色紙を預かり8月15日~18日に再度萩市へ向かい手渡ししてきました。 萩市の方はとても喜んで下さり、お礼のお手紙も届きました。 こうして東日本と西日本の方が繋がり、心の交流が始まった事はとてもうれしいことです。


2日目は老人ホーム「たんぽぽ」での活動。昨夏一緒に活動していただいた東京の小山さん親子も合流してくれました。小学5年生のキハチ君は昨夏の活動を自由研究としてまとめ、その日記を見せてくれました。とてもすばらしい日記で一同感動!! ひとまわり大きくなったキハチ君は今回も楽しそうに五平もちを焼いたり、おじいさんやおばあさんとお話をしていました。今年もまた日記に残してくれるとうれしいなぁ。。


その後カメラマン鈴木さんのお取り計らいで、東松島市の「震災関連廃棄物処理場」での体験作業をさせて頂きました。 炎天下での作業は想像以上に過酷でしたが100名ほどの市民の方が働いていて、雇用対策にもなっており、手作業で完璧に分類された石・木・プラ・金属は97%のリサイクル率を誇り、市に4億円の収入をもたらしたとのことです。

 ひとつひとつ仕分けをしながら時に涙を誘う被災財の重みを感じながらの作業は、 被害のすごさを改めて感じ、3年経っても山と積まれた廃棄物に心が痛みました。

3日目は鈴木さんのご紹介でボランティアがほとんど入った事のない 赤井地区の10~20世帯の小さな仮設住宅での活動。

五平餅もマッサージもとても喜んで下さいました。 隣近所の付き合いの少ない小規模仮設ならではの問題も伺い知ることができ新たな活動場所を開拓することが出来ました。 午後には、壊滅状態ながらも、津波の恐ろしさを知っていた住民の的確な行動により1人の犠牲者もでなかった月浜海岸を訪れました。 かつては民宿が30軒ほどありにぎわった美しい海岸。 神奈川県のボランティアにより砂浜が整備され、2軒の民宿が再開。 来年の夏は、ここの民宿に泊まり観光の要素を取り入れた 活動にしていくための視察になりました。

今回も、矢本運動公園の小野会長始め自治会の皆さま、カメラマン鈴木さん、 とんぼの会の菅原さんのおかげで有意義で楽しい遠征活動になりました。

次回は12月のクリスマス時期にお邪魔する予定です。

★鈴木さんからのコメント★

今回もまた東松島市での活動に ご尽力いただきありがとうございました。

今回はわたしの仕事が終わらず2日目からの合流でしたが すっかり現地に慣れている団体なので任せて安心でした。…

今回の設定では、わたしが1年近く前から実現したいと思っていた 震災関連廃棄物分別処理場の見学をやっと組み込むことができました。

自分自身でもこの場所は0距離で見ておくべきだとの思いが ずっとあり、当初は一人で入れてもらおうと思っていましたが 希望しても受け入れられず、目的を明確にするよう指摘されました。 今回は、最も成功した処理施設を県外の人たちに知ってもらうためと いう名目が立ったために許可が出たものです。

民間人ボランティアで作業体験までしたのは愛知人が最初です。 (高校生は入場も初)

実はこの場所はわたしにとっては最初の3月から何十回も家財を 運びこんでいた場所であり、その後は2年にもわたって日本中から 放射性瓦礫などと言われ続けた悔しい思いの象徴のような所です。

ここのプラントは、稼働して数か月が経つとそのリサイクル率の 高さが知られるようになり、報道もされていましたが、その率が 80%を超えたころからごく最近まで報道から姿を消しました。

リサイクル率が高すぎたのです。

隣の石巻市では多額の費用をかけて焼却施設が多数設置され、 女川町では石原都知事の指示により毎日東京へ送り出されました。 もちろん焼却できない金属や石だけを取り除く最低限の分別は されていますが、ほぼすべてが混合のまま焼却処分されます。 費用はかなり掛かっているにもかかわらずリサイクル率は当然 極めて低いものになります。

震災前から石巻市と女川町との広域処理により3自治体で ごみ処理をしてきた手前、東松島市だけが飛びぬけて高い リサイクル率を達成してしまうと「放射性瓦礫」に極端な反応を 示す人たちから石巻市と女川町に「拡散自治体」向け抗議文などが 送られてくるのだそうです。そのため東松島市のリサイクル率には 報道規制がかけられました。再度報道されるようになったのは 東京への処理委託移送が終わったこの春ごろからなのです。

そういった事実もあり、場内で所長と体験の列までみなさんを 案内していた時にはバタバタとしていましたが、列が整って 作業が始まったころ、初めて落ち着いて0距離で見た処理場は わたしには鳴瀬二中よりも大曲浜にあがった鳥海丸よりも 強く震えるほどのインパクトを感じる場所でした。

今回はいつもより少なめの人数でコンパクトに展開できそうな 様子だったので、初めて赤井地区で活動していただきました。

もともと赤井地区から始まった私と愛知人のご縁ですが この赤井の分散仮設が難しい地区だったため2年以上もの間 ここでの活動はお願いしたことがありませんでした。

ここには談話室が設置されず、初年度は当然満室で始まったため 展開するためのスペースがありませんでした。そのためここに来て 活動してくれるボランティアさんもなく、たまに小規模でもいいと 言ってくれる団体を連れて来ても、いい感想を言われたことが ありません。

そのため受け入れの態勢作りも入居者自身で覚えることもできず まったく受け身の体制で、どうしたらいいのかわかっていません。 それでいて市内には1,000人規模の仮設群が3か所もあり、市の 広報誌などを見て大きな仮設群ではどんな楽しいことがあるのか 知っています。そして徐々にひがんでしまいなお内向的になって しまう悪循環になっています。

本当は来てくれる団体がいるなら来てほしいはずなのですが 元来の田舎者でもありどう接していいのかコミュニケーションの スキルも低く、もらえるものだけもらってすぐに帰ってしまう 非礼をよく理解していない人も多いのです。

全体を大きく変えようとまでは思っていません。 ときどき小規模に展開してもらって、まずは理解のある人から 先に慣れてもらえば、あとは少しづつついてくるのではないかと 思っています。

今回の愛知人が提供してくれた五平餅は赤井地区では今年に入って 初めての食べ物の支援だったそうです。その前はモトスの クリスマスの活動までさかのぼるとの話。

来て下さる団体にとっても、広いスペースもないし、わざわざ 事前に告知ビラを印刷して配っておくか、個別に呼び込みに行くか 手間をかけて、それだけやったとしても戸数が少ないので数が 集まらないようでは、ここでやりにくいのは間違いないです。

今回は赤土さん、榊原さんが離れた3か所を回ってくれて 結果的に3組ほどが来てくれました。赤井中央仮設でも個別に 回ってもらったので、上田さんと高野さんのマッサージも 展開できました。

個別訪問をしてくださったみなさんには、手間の割に反応が薄い 仮設だという印象があったはずですが、こういう場所もあるのだと 新たな体験の一つだったものとしてご理解いただければ幸いです。

さらに新たな体験として、初めて宮戸地区に行ってもらいました。 東松島市では唯一の離島部でほかの地区とはいろいろと事情が 異なります。

被災レベルは甚大だったにもかかわらず人的被害は0で、発災後も 強力な自治体制を構築しほとんど住民同士の共助だけで1か月も 切り抜けてきた場所です。

この宮戸島は東松島市が、「松島」と名乗れる景勝地部分です。 今回見ていただいた月浜が、来年の夏の新たな体験の場所に 選んでもらえればと思っています。 上田さんも小野会長と別なエリアへ来年の調査に行ってます。 どこに行ったのかは聞いてませんが組み合わせたら きっと楽しいはずですよ。

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